礼拝説教


5月6日

コリントの信徒への手紙一 11章17〜34節


神の教会

平良牧師 

 ここでも、「神の教会」の秩序について語っています。神の教会の秩序はどうあらねばならないのか、そのことについてパウロは、具体的にコリントの教会で起こっている問題を取り上げて、私たちにその考え方を教えてくれています。使徒言行録の2章42節から47節のところで、初代教会の信徒たちが、民衆から好意を寄せられた理由を述べていますが、そこには、「信徒たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて皆がそれを分け合った。

 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと良心を持って一緒に食事をし、神を賛美していたので」とあります。つまり、そのような、すべてのものを共有で使用していたこと、財産なども分け合っていたこと、また、信仰的には毎日神殿にいって祈りをささげていたこと、食事も一緒にしていたことなど、とにかく、そのような光景は、その当時、どこにもない温かな、和気あいあいとしたものだったのでしょう。

 特に、食事などは、いわゆる汚れた者、罪ある者たちと一緒に食事をするということはユダヤ人たちのなかでは、なかったのですから、キリスト者たちの集まりは、これまでのユダヤ人たちとは違い、閉鎖的ではなく、うらやましさを周りの人々に与え、憧れの対象になっていったのでしょう。そして、彼らの信じているものが、そのありようを規定していることを知って、その証しの生活が他の者たちの心を揺るがすことになっていたのでした。

 それなのに、喜びと良心を持って一緒に食事をするということが、このコリントの教会ではなされていませんでした。これこそが、もっとも大事なことであったと思われますが。コリントの教会の者たちはそれをなしえていませんでした。それは、富む者と貧しい者との間に生じていた亀裂でした。今でいうところの格差のようなものがコリントの教会には生じておりました。

 集まるときにも、彼らのなかで生まれていた亀裂が色々な場面で露わとなっていました。彼らの集会は、仲間割れという現象になって現れ、少しも神の教会としての証しになっておりませんでした。「あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ、悪い結果を招いている」とあります。パウロは、教会というところはそういうこともあるし、致し方のない面もあると言います。「わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません」と、述べています。

 パウロは、いくつかの教会を建て上げましたが、うれいしことばかりではなく、同時に、造り上げたその教会で生じるいろいろな問題も見てきました。ですから、そういうこともあるだろうと言い、ときには、いったいどちらが正しいかを、はっきりさせなければならない状況だって、でてくることもやむなしといった認識をもっていました。ただ、この場合、一緒に集まっても「主の晩餐を食べることにならないのです」とその主の晩餐を食べることの意味、そのものがもう崩れてしまっているのだとパウロは、指摘しています。

 パウロが問題と感じている点は次のようなことでした。21節に「なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいると思えば、酔っている者もいるという始末だからです」とあります。さらに「あなたがたは、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり(たいしたことはないと侮って考える)、貧しい人々に恥をかかせようというのですか」と、どちらかというと、パウロは、富む者たちに対して怒りをぶつけています。パウロは、このようなことでは、主の晩餐を食べることにはならないと述べます。

 当時は、儀式としての主の晩餐と、いわゆる愛餐との区別は、分かちがたく結びついていたようです。パウロは、23節からのところで、当時の主の晩餐の儀式と食事がどういう順番で行われていたのかを述べております。

 まず、感謝の祈りを捧げたあと、パン裂きの行為をもって、「これは、あなたがたのめのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」といったあとにパンを食べます。それから、25節に、「また、食事の後で、杯も同じようにして」とありますから、パンを食べたあと、普通に食事をしたことがわかります。それから、今度は、杯も同じようにして「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言って、杯を回して飲んだことがわかります。

 ですから、儀式と儀式の間に、普通の食事をしていたのでした。ただし、これらの儀式と食事の交わりについて、それが、どのような具合で、実際に集まった人々のなかで、事柄が進んでいたかというと、コリントの教会では、富む者たちは、おそらく定刻に来て、先に食事をし、酔い潰れているような者さえもいたようなのです。そして、その一方で、定刻に来ることのできない人々がいました、こうした人々は貧しい人々であったとあります。彼らは、一説では、奴隷の身分の人々で、遅くまで仕事をして、それからこの集まりに遅れ気味にやってきたのでしょうが、そのときには、もう、食べ物が残っていないというありさまでした。

 パウロは、「ふさわしくないままで、主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります」と言っています。その場合、ふさわしくないままで、という意味は、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるというありさまを指しております。つまり、キリストの教会、神の教会の集まりであるはずなのに、そういった仲間への思いやりに欠けた行為をしていたのでした。

 パウロは、「神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか」と怒りをあらわにしています。パウロは、言います。「だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです」とあります。

 ここでは、あたかも、このような人々の心ない行為、罪のために、神様の罰として、コリントの教会の人々の間で、多くの人が病気になり、多くの者が死んだと理解できるのですが、まず、いったい何と比較して病人や死んだ人が多いと言っているのでしょうか。他の教会と比べていっているのかもしれません。コリントの教会は特に、神の教会として、信徒たちの交わりがうまくいっていなかった、ひどくて、そのように考えるのが妥当な状況だったのでしょう。

 しかし、果たして、彼らの罪がそういった神様からの罰という結果を招いていたのかどうかは、もう少し考えなければなりません。というのも、神様の裁きについて、パウロは、同じくコリントの信徒への手紙一の3章の14節、15節では、「だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」とあり、さらに、4章の5節では、「主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります」とありますように、パウロは、かなり肯定的な裁きの理解をしていることがわかります。

 また、パウロ自身が、自分が負っていた病について、罪の結果だというような理解はしておりません。それどころか、力は弱さの中でこそ十分に発揮されるということを悟らせるための神様からの恵みだといった理解の仕方をしています。岩波訳の用語解説の病人という言葉について、青野先生は、「むしろ、ここでは、コリント人のある人たちの不当な振る舞いによって教会が傷つき病んでいき、その結果死者までも出たという、共同体的な連帯の思想が語られているのであり、逆転して、事実から原理を引き出してはならないであろう」と説明していますが、私もその青野先生の解説に納得させられます。

 31節からのところでパウロは、「わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです」と述べています。たとえ、裁きとして考えるとしても、それは、決定的に罪に定められたということではなく、そこに至らないための、神様からの懲らしめ、警告のようなものだとパウロは述べています。

 そして、最後に勧めています。「食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、ということにならないために」と厳しく忠告しています。

 パウロは、教会は、神の教会であるゆえに、そこに呼び集められた者たちは、互いに主を証しすべく、神様に喜ばれるような、主の晩餐の守り方をなすべきだと訴えています。

 私たちの教会でも、このあとに、今日も第一の主の日の礼拝ですから、主の晩餐を守ります。これは、私たちのバプテスト派が守っている二つの礼典のうちの一つです。もう一つは、バプテスマ(洗礼、バプテストでは水に全身を浸ける形の洗礼方式ですから浸礼と言いますが)式です。主の晩餐は、イエス様が、生前に、弟子たちと最後の晩餐をしたときに、この主の晩餐の儀式を、自分の記念として行うように奨めたことにゆらいしています。

 それまで、ユダヤ人たちには、過ぎ越しの祭を神様が自分たちイスラエルの民をエジプトでの奴隷状態から解放してくださり、救い出してくださった記念として、以後行うように神様に命じられて、ずっと守っていたお祭り、儀式がありました。それと同じように、キリスト者たちは、イエス様から、この主の晩餐を自分の十字架の出来事を思い起こす儀式として以後行うように、言われたのでした。そして、今なお、この主の晩餐をほとんどすべての教会で守っています。

 私たちは、イエス様の十字架の出来事を忘れてしまうでしょうか。否、そのようなことはありません。私たちは、イエス様の出来事をことあるごとに想い起こしています。しかし、ほんとうにそうなのでしょうか。もし、この主の晩餐を行わなかったならば、どうでしょうか。イエス様が、「わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われた意味を考えます。

 イエス様は、私たちが弱いことを重々承知の上で、こうした儀式をとおして、繰り返し、十字架の出来事を思い起こすようにお奨めになりました。イエス様は、これをどのような頻度で行いなさいとは言っておりませんが、少なくとも初代教会の集まりでは、集まってなす食事のたびにこれを行っていたと思われます。

 つまり、毎回、彼らは、主の晩餐を行って、イエス様の十字架を思い起こすことにしていたのでした。この主の晩餐によって、イエス様の十字架を思い起こすたびに、私たちは、イエス様とこの私の関係を新たに心に留め、さらに、ここに集っている教会の仲間たち同士との関係に想いを馳せるのです。主の晩餐において、私たちは一つになってイエス様の十字架に想いを向け、そのことによって、この身が赦され、救われたことに感謝し、今なおイエス様に愛されていることを確認するのです。

 神の教会の集まりは、自己中心的なありようをよしとはしません。他者に開かれている、風通しのよい集まりです。そこに集った者たちが、皆、平等に扱われ、相互に他者を思いやることのできる集まりです。特に、弱い、貧しい方々が配慮されるところです。このコリントの信徒への手紙一の12章24節からのところに、「神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。

 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」とあるとおりです。「食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。空腹の人は、家で食事を済ませなさい」。たったこれだけのことを言うために、パウロは、心を尽くして、愛情を込めて、コリントの教会の人々を説得するのでした。それは、すべて、教会が真に神の教会となるためでした。 

 最後に26節に触れて、今日の説教を閉じたいと思います。「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」とあります。私たちが守る主の晩餐は、再臨のイエス様が来られるときまで、つまり、終末のそのときまで、神の教会にあっては、延々と続いていく性格のものです。そして、この主の晩餐を守ることをとおして、私たちは、結局、イエス・キリストの十字架の出来事を人々に、これまた延々と告げ知らせ続けていくのです。


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