牧師室


7月15日

さすが学問の力だねぇ

青野 師

 「幻の布」ともいわれた沖縄の織物、まるで精緻な刺繍を思わせる「読谷山花織」(ゆんたんざはなうい)。その復元がようやく叶った時、それをやり遂げた与那嶺貞に、仲間の一人が涙をこぼしてこう言ったという。「さすが学問の力 だねぇ。」精緻を極めた復元の作業を根っこで支えたのは、幾何学など、実業学校で身につけた知識だった。

 作家の澤地久枝さんは、『琉球布紀行』のなかで、「学問のこういう“尊さ”を、私たちは久しく忘れ去ってはいないか」と言う(鷲田清一『折々のことば』、2018 年4月27日、朝日新聞朝刊)。「信仰」と「学問」は別物だ、と言うキリスト教徒は 多い。しかし、聖書に関わる「学問」も、澤地さんがここで言われる「学問」と同様に、何もこむずかしい理屈を言うわ けではない。例えば、福音書を読んでいると、よく類似した、しかしちょっとだけ違った物語や文言にしばしば遭遇す るのだが、これはいったいどうしてなのだろう、と疑問に思って、それらをメモし、統計をとってみる。するとそこに、一定 の法則のようなものがあることに気づかされることになる。

 現在の新約聖書学においてほぼ定説となっている「二資料説」の出発点は、実はまさにそうした単純な疑問であった。<マタイとルカは、マルコ福音書を下敷きにして自 分たちの福音書を書いたが、その際、マルコには知られていなかったイエスの「語録集」(それをふつう「Q資料」と呼ぶ)をも、マタイとルカは使用した、つまり彼らはマルコ福音書とQ資料の「二つ」を主要な「資料」として用いたの だった>という仮説である。これで99.5%はうまく説明がつく。しかし残りの 0.5%は残念ながらそうはいかない。 だから、それは依然として「仮説」以外ではないのだが、しかし極めて高い蓋然性を持った仮説であることは間違い ない。私がしているような歴史的・批判的な聖書の読み方を批判して、「自分は書かれていることを素直にそのまま 読んで信じています」と言われる方がいる。

 しかし、ほんとうに誠実に「そのまま」読んでいるのなら、こうした「学問」 的な疑問を実際には「素直に」持たざるをえないのではないか、と私には思われる。信仰の世界においても、「学問のこういう“尊さ”」を復権させる必要があるのではないか。


7月8日

希望考

平良 師

 希望というのは、何ごとかが成就するまでの状態や状況の過程にある者たちの期待感を言っているのだろうか。岩波辞典では「未来に望みをかけること。こうなればよい、なってほしいと願うこと、また、その事柄の内容」とある。そうすると、未来に望みを見出せない、なってほしいという思いにならない、そういう状態は、希望がない、失望ということになる。

 信仰する者が、希望を失わないのは、そうなったらいいなあ、という思いを超えて、そうなると信じているからである。しかも、その根拠を自分の力においていないからだ。神様が、それを成し遂げてくださると信じているのである。

 そして、最後の希望は、神の国において永遠の命をいただいて生きることになるということであって、その希望の実現を客観的に否定できるものもないから、それで希望を失わないですんでいるとも言える。だから、信仰に生きる者たちは、気持の上では基本的に元気なはずなのである。たとえ、体が衰えていこうとも、病気になろうとも、神様のお力に頼る限り、希望が失せることはない。サッカーのワールドカップで、惜しくも日本はベルギーに負けた。

 しかし、組織力などでは世界に通用するまでになったと言える。だから、次につながるというので大いに希望がもてるということになった。しかし、希望というのは、こうした状態が一番いいのかもしれない。つまり、希望は手の届くあたりが際立って輝く。


7月1日

もはや人種の壁を超えている

平良 師

 サッカーのワールドカップに出場する選手たちを見ていると、ヨーロッパの国々をはじめ驚くほど黒人の方々が多いのに驚く。また、日本でも、日本の国籍を持ちながら活躍している黒人系の顔立ちをされているプロ、アマのスポーツ選手たちも多くなった。陸上、野球、バスケット、テニス、相撲など。日本人と東南アジアの方々との間に生まれた方は既に大勢おられるはずである。

 今や、日本もまた、他のいわゆる先進国と同じで、いろいろな人種の方々が入ってくるようになり、また、日本国籍も取得されて、そういった意味でもこれまでの日本独自の文化状況だけでは済まされない社会になりつつある。

 そのうち、モスクがキリスト教会の建物よりも多くなるかもしれない。また、性的マイノリティーの方々の人権ももっと認められるべきであり、そうなれば、世界中の人種の人々と、また、異なる性の人々と、それぞれの個性や異なる文化を背景にもつ人々とが、共に生活をしたり、仕事をする社会が生まれる。

 否、既にそれは始まっていて、福岡でもスーパーやいろいろなところで仕事をされている外国の人々や性的マイノリティーと思われる方々をお見受けする。多様性を認めないでは成り立たない社会が出現している。多様性が生み出す豊かさは、私たちの教会の目指すところであり、海外からの人々、性的マイノリティーの方々の受け入れ態勢の整えは教会としても急務ではないだろうか。


6月24日

星野富弘さん展示会に来ませんか?

森 師

 76()77()10001600までの間で星野富弘さんの詩と絵の展示会が大名クロスガーデンで行われます。オープンチャーチとしてこの展示会を行いますので、どうぞお誘いあわせの上、お越しください。星野富弘さんとの出会いは私が長崎バプテスト教会に通い始めてから、その存在を知りました。

 首から上が不慮の事故により動かなくなった星野さんが、大変な労苦の中で生きる希望を見いだし、また牧師やキリスト教との出会いを経て、現在口に筆を咥えて絵と詩を書き続けておられます。口にくわえて描くという事の困難さが私には想像することすら大変難しいのですが、そんな方が、心に生きる喜びと自分に与えられた使命を全うしておられるのは、当時の私にとって大きな慰めと励ましを頂いたものでした。

 今回、様々な導きがあり、星野さんの詩画展をこの場所で出来ますことを大変な喜びとしています。普段は熊本県の芦北町立星野富弘美術館に展示してありますが、貴重な機会として、この時をどうぞお用い下さい。合わせて今年の7月には星野さんの詩を歌にされ、熊本大震災や九州北部豪雨の被災地を訪問して歌っておられるゴスペルフォークデュオ「オリーブ」の震災支援チャリティコンサートも728()1900@大名クロスガーデンで行われます。

 今回のコンサートでは星野さんの詩画から曲をつけたアルバム「立ち止まっていいんだよ」から歌われます。ひと時、自分の人生を見つめ直す立ち止まるときとなれればーと願っています。


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