牧師室

牧師のエッセー


2月17日

怖い過ちの話

平良憲誠 主任牧師

 人は、同じ過ちを繰り返すものだ。そのことが、過ちだと気づいているのに、つまり、これはもうしてはいけないとわかっているのにやってしまう過ちがある。自分の気持ちを抑えきれずにやってしまう過ちもあれば、気付かずにやってしまう過ちもある。今日は、その後者の過ちについてお話したい。 

 Aさんは、Bデパートに行って、おいしそうなリンゴパイを見つけ、それを購入した。家に帰って食べてみると、期待はずれの代物であった。外からはリンゴがいっぱい入っているように見えたのだが、いざ食べてみると、リンゴは表面だけで、下の方はケーキの生地だった。

 翌日、昨日とは別の用事があって、これまた昨日とは違うC デパートに足を運ぶこととなり、そこで、またまたリンゴパイを見つけた。Aさんは、昨日失敗したので、このCデパートのこのリンゴパイはうまそうに見えるし、何といってもリンゴも下までぎっしり入っているように見えた。そこで、買いたいと思った。

 しかし、連日ということもあり我慢しておこう。それで、帰ろうとして歩きだした。が、待て待て、今日のあのC デパートのリンゴパイは、昨日のものとは違って、きっと下までリンゴが詰まっているに違いない。それで、Aさんは引き返して、それを買おうとした。ところが、その横にどこかで見たことのあるケーキを見つけた。そうだ、昨日のリンゴパイの横にあったものだ。そう、そのケーキ屋はこの Cデパートにも出店していたのだった。


2月10日

愛しているのに

平良憲誠 主任牧師

 韓国ドラマを NHK が放映するようになったその最初は、「冬のソナタ」だったと思う。あれから、何本かの韓流ドラ マが放映されたが、どれもこれも楽しく見させてもらってきた。今は、「オクニョ」を毎週楽しみにしている。

 しかし、「冬のソナタ」を超えるものに出会ったとは思わない。あの哀愁漂う空気は何とも言えない。ミーハーと言われようとも、そう思うのだから仕方ない。私の中では、「冬のソナタ」は別名「悲劇のサンヒョク物語」となっている。

 毎回、ああ哀れ、サンヒョク、今日もだめだったね、と私は心の中でつぶやいていた。よせばいいのに、彼はユジンを愛している。ユジンは、ミニョンを愛している。ミニョンもユジンを愛している。サンヒョク、君はどうすることもできないのだよ、とテレビを見ている者はつぶやいていたはずだ。愛している者に愛されないというのは、何とつらいことだろう。サンヒョクは、いたるところで忍耐を強いられる。 神様は、創造された人間の一人一人を愛して命を吹き込まれた。

 人間は神のものである。しかし、その人間は、神様を愛しているだろうか。神様に喜ばれるような生き方もしているだろうか。神様は、忍耐して自分に戻ることを願っ ておられる。それじゃあ、神様はサンヒョクなのか。それは違う。ユジンは、サンヒョクが創造したものではない。ユ ジンもまた、同じ神様の創造物。愛している者から愛されたら幸せに決まっている。愛は忍耐なんだなあ。 


2月3日

リベラルを可能に

平良憲誠 主任牧師

 二つの場所で宣教活動をしている私たちの教会の課題は、はっきりしている。一つは、それぞれの礼拝を守っている者たちの意識のズレである。私たちの教会は、一つの群れであるが、この形式が持っている利点について、共通認識を持ち得ているか。

 これは、自ずと生まれている違いを互いに理解し、受け入れることで、自分自身が変えられ、豊かにされていくこと、真実に解放され自由にされることへの喜びを味わうことができることである。そして、ミニストリーといった形で、自分の賜物を生かし、興味の持てるやり方で、教会の宣教活動を展開することも、教会のかかわりをより積極的なものにすることにつなげている。

 リベラルという言葉があるが、私たちの教会は、スーパーリベラルかもしれない。聖書理解や福音理解、礼拝スタイルについて、これだけの幅を持たせている教会もない。だから難しい。また、こひつじの園ランチカフェのように、地域の方々の幅広い参加により、結果として、教会の裾野は広がり、地域との接点があちこちに生まれている。

 そして、それは、教会の証しとなり、信用にもなっている。これから、二箇所で宣教活動を行っている一つの教会の群れは、教会を造り上げるための組織改革をとおして、すべての事柄を同じ土俵で考えたり、感じたりできるようになるだろう。何を大事にし、何に時間を費やすのか、また、選び取るものは何か、シンプルにすべきものがたくさんある。


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