牧師室

牧師のエッセー


9月16日

スポーツもいいが、信仰もね・・ 

平良憲誠 主任牧師

 テニスを見ていて考えた。テニスもバドミントンも卓球も野球も、相手がいないところにボールをたたいて、それがキャッチできないことを狙う。これは卑怯というよりは、技なのである。テニスのラリーを見ていると、相手を左右に動かし、それから、次第次第に相手を片方でプレーするように仕向けていって、ある程度のところで、逆をつき、ボールが拾えない状況に追い込む。

 もちろん、高速サーブを打って、相手がそれを受けられないでポイントを奪うことも多い。相手の意表をつくのである。でも、大坂なおみの決勝のプレーをニュースで見ていたら、相手の元女王セリーナが苛立つのも無理はないと思った。素人が見ていても何だが見事、完璧としか思えなかった。体格からしても元女王に比べても華奢な感じであったが、試合態度は堂々としており、落ち着きさえ感じられた。

 大坂なおみは、ハイチ出身のアメリカ人の父親と日本人の母親との間に産まれた方だから、今のところは二重国籍になっているようだが、明らかに心の持ちようは日本人である。そして、彼女は相手を思いやる心にたけているようにみえる。

 元女王には、かなりの苛立ちがあったのだろうが、あのような形で、審判に抗議して試合を台無しにしたのは残念であった。この大会の優勝者は、4億の賞金を獲得したという。信仰者は、敗者であることを認めることで神様から多くをいただくことができるのである。


9月9日

 

平良憲誠 主任牧師

 時間が過ぎゆく感覚は、どうしてこうも、年々加速していくのだろう。2018年も三分の二が過ぎた。やることは決まっているが、体が思うように動かなくなり、それで時間が足りないといった感覚からきているのだろうか。あるいは、ぼっ~としていて、あっという間に時間が過ぎていくため、そう思うのだろうか。

 あるいは、繰り返しの毎日のなかに、季節があり、諸行事がありと、それで、またこの季節を、またこの行事を迎えたということで、何となく毎年の同じことの繰り返しが、感覚を短く感じさせているのだろうか。きっとその理由は科学的に解明されているはずだ。感覚と実際の時間の経過の間のズレが大きくなっているのだろう。とにかく、早くに時間が過ぎていく。

 おそらく、いろいろな新鮮な経験を多くして、感動の日々を送りはじめたら、毎日が長く感じられるようになるのかもしれない。否、そんなこと、もう結構と思う方もおられる。新しいことにチャレンジするには、エネルギーが必要である。今日は、敬老の日の礼拝を守る。教会に来られている方々の印象は、若いということだ。それは、信仰から来ている。

 信仰は、日々チャレンジを私たちに強いる。神様に従う人生は、いつもチャレンジに満ちている。アブラハムは、75歳で、今の住みなれた土地を離れ、神様の示す地へ行けと言われた。キリスト者たちは、何歳になっても、いつも、冒険にでかける用意を心のうちに持っている。


9月2日

被造物の世界

平良憲誠 主任牧師

 物事には、その世界では常識だと言われることがある。何事においてもある。医療の世界、教育の世界、営業の世界、菓子作りの世界、建築の世界、およそ、すべての世界において、これこれのことはその世界では常識だ、というものがある。しかし、100%、それはそうかというと、そうだとも言い切れないものがある。

 どういうわけか、このことは、当てはまらないというものがある。だから神様がおられると言える。そうでなければ、人間はすべてのことを解明でき、神様の出る幕はなくなる。7割がたは、およそそうだと言えるかもしれないが、あとの3割はわからない、そのようなものだってあろう。

 だから、例えば、その道の専門家をまるごとは信用することもできない。人間には過ちがつきものである。「私は失敗をしないので」なんて人は、ドラマの上だけだ。パウロも、罪を犯さない人は誰もいないと主張した。人間の精神構造、思考回路、脳の働きについて、医者や生物学者は、一般の人々よりも理解が深いだろう。だからといって、他の人々よりも人間関係をより良好に作れるか、信頼関係を深く築けるか、というとそうでもないのだ。

 牧師に至っては、本人に、召されたとか献身しているといった思いはあっても、聖なる者ではなく、ご存じのようにただのおじさんおばさんである。神様は畏れているが、残念ながら倫理道徳的に秀でているわけではなく、他の誰よりも優しいわけでも、愛が深いわけでもない。


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