風囁

教会員の証


10月21日&28日&11月4日&11日&18日

証し(2018年6月3日)

U. H 姉

 

 私のクリスチャンとしてのこれまでの歩みや神様が私の人生にどれだけすばらしい恵みをくださっているのか、証ししたいと思います。 

 クリスチャンの母親に連れられ、生まれた頃から教会に通っていた私にとって、神様との出会いはごく自然なものでした。「いつかは洗礼を受けるものだ」と思っていた私は、中学3年生の春、 通っていた大分県のキリスト教会で洗礼を受けました。教会学校の友達に誘われたことが直接のきっかけで、当時はそれほど深く信仰について考えていたわけではありませんでした。

 まだ10代、夢や希望にあふれていた私にとって、永遠の命や救いはそれほど関心がなかったというのが正直なところです。ただ、イエス様が私の罪のために十字架で死んでよみがえってくださったことを漠然 と信じていました。そんないい加減な信仰しか持っていなかった私でしたが、それでも神様はどんな時でも私とともにいてくださり、あふれる恵みを注いでくださいました。

 私は「たたきなさい、そうすれば開かれます(マタイ7章)」という御言葉が大好きですが、神様は、私の多くの願いを聞き入れ、扉を開いてくださいました。

 神様が私に開いてくださった大きな扉の一つは学びの世界への扉でした。文学の世界の深さを知り、学ぶ喜びを持ち、大学ではフランス文学の研究にのめり込みました。もう10年以上前のことです。フランスという国との出会いもまた、神様が用意してくださった道、ご計画ではなかったかと今は思います。在学中、大学とフランス南西部にあるボルドー大学が姉妹校提携を結ぶという道が備えられ、フランスへ留学したいと強く願うようになりました。祈りがきかれ、大学3~4年生の時、ボルドー大学への留学の機会が与えられました。留学に必要な資金も必要な単位もすべて備えられました。

 フランス留学は、私の信仰の転換点にもなりました。地元を離れて大学に通うようになってから、教会から足が遠ざかっていた私でしたが、フランスで同じ寮に住んでいた韓国人留学生に誘われて近くのペサック・バプテスト教会という教会へ行くようになりました。この教会は、多くの国々からの留学生を初めとする学生の多い教会でした。学ぶ目的や根ざす文化、人種、言葉も違う同世代のクリスチャンと、信仰を通じてつながり合えることは本当に大きな恵みでした。

 現代の文明から離れた田舎にある教会の別荘へ、みんなでキャンプに行き、ただただ祈り、賛美し、語り合い、遊んだ時間。毎日のように教会に集っては聖書を読み学んだ夕べ、フランスでの学びを終えて母国に帰る仲間を送別する時間…。どんな時も恵みにあふれていました。

 その頃の私は、好きなことを学ぶという恵みと就職活動という人生の転機の中にいました。これから自分がどう生きていくのかを真剣に考えていました。そんな中で、信仰という軸をしっかり持って、学び、それぞれに夢に向かっている彼らとの出会いは本当に刺激になりました。フランス語の不得手な私のために、いつも個人的な聖書の学びの時間を持ってくださったフランス人牧師先生夫妻の祈りや励ましもあり、「私ももっとちゃんとクリスチャンとしてイエス様をいつも見て生きよう」「将来への不安もすべて神様におゆだねしよう」と思うようになりました。自分の信仰について見つめる時間だったと思います。

 こうして帰国後、これも一つの夢だった「伝える」という仕事へ。このときも神様は扉を開いてくださいました。周りが驚くほど、はっきりと私の前に道が開かれました。

 初任地で通うようになった教会は、奉仕にとても力を入れている教会でした。慣れない仕事に奮闘しつつ、数年間、この教会に通っていました。あれほど、ぶれない信仰を持ちたいと思っていた私でしたが、本当に人間の思いや意志は弱いものだと思い知りました。この教会が力を入れている奉仕は、社会的に弱い立場にいらっしゃる方々への支援で、本当に支援する側の心身を捧げなければできないものでしたが、本当に熱心でした。同世代の教会員と青年会の活動をしていましたが、彼らもほとんどこの奉仕が生きることそのもののようになっていました。

 いつも、奉仕について熱く語る彼らと接し「若いのにすごいな」と感心する一方、自分の信仰は薄っぺらく、奉仕に関心の持てない自分の居場所がないように感じられました。私は、恵まれない方々に対して、ここまで自分の時間やエネルギーを尽くすことはできないということを感じると同時に教会生活もどこか息苦しく、重荷になってしまっていました。その後、転勤で九州各地へ行きましたが、どこか以前ほどの夢や希望を持てないままでした。祈ったり聖書を読んだりする習慣はありましたが、教会につながりたいという思いも持てずに数年を過ごしてきました。

 そんな中で、ある人へのとりなしの祈りを始めたことをきっかけに「もっと力のある祈りができるようになりたい」という思いが強くなり、久しぶりに教会へ行こうと思いました。昨年秋のことです。家の近所にある大名クロスガーデンに足を運びました。そして、スモールグループを紹介していただき、祈りと信仰を持って、教会や教会員とつながっていることの大切さを改めて感じました。共に祈り合い、毎回、祈りの課題やそれに対する神様の応答を語り合う中で、祈りには大きな力があり、私たちが集うその場所に毎回、イエス様も一緒にいてくださって、今まさに私たちのために御手を動かしてくださっているんだなと感じることができました。

 何度神様から離れそうになっても、こうして神様は私をしっかりとつかみ、守り、愛していてくださったんだなと感じました。私がどんな状況でも、私の何かが変わっても、悩み苦しむ時も、私が自分でも失望するくらいダメな時でも、神様の愛は何も変わらず、昔も今もこの先も変わらずに注がれ、いつでも、私のために居場所を作っていてくださるんだなとわかりました。そう感じた時、もう一度信仰を見つめ直して、しっかり持って生きていたい、もっと神様のことを知りたいと思うようになりました。

 そして今は、私の人生を通して、周りの大切な人たちに神様の愛を届けられるような存在になりたいと願っています。今、ここにいることが、平尾教会の一員になることが、神様が私に開いてくださった扉であり、この願いが、神様が私の心に置いてくださったご計画でありますように。

 最後に私の好きな御言葉をご紹介します。

 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう」(エレミヤ29章)


10月7日&14日

訳の分からない体験がもたらしたこと

S.M 姉

 

 今年に入ってから思いがけず、入院を繰り返して、訳の分からない症状に戸惑った。絶食が続いたかと思えば、いきなりICUに入れられたそのときも、見るものすべてに驚いた。真っ白の世界、バタバタと走り回る白衣の人々、飛び交う専門用語。この光景は、そうだ、キューブリックのSF映画みたいだ、と。酸素吸入、点滴いっぱい繋がれて、意識がぼんやりとしながらも、ちゃんと見ておこうと思った。こういう体験は、私にはあり得ない話だと思った。

 入院中、訳の分からない症状のなかで取り留めもなく色々なことを考えていた。それは、数十年前の友人との何気ない会話だったり、長女が進学のために福岡を離れる時のことだったり、弱って死んでいった柴犬、息子の悩みにきちんと向き合ってあげなかったこと。また、こうしているときも家で留守番をしている猫。

 様々な記憶の細部まで蘇って、それは楽しかったことももちろんあるけど、悲しかったこと、辛かったこと、いっぺんに現れた。もしかしたら、私は、気づかないうちに、色んな存在を傷つけて来たのではないだろうか。奇妙な自己嫌悪に襲われた。このような訳の分からない体験になにかが覚醒したようだった。

 きちんと決めて礼拝に出席するようになって随分年月が経った。教会という場を考えることが日常になっているものの、何か混とんとして掴めていない気がしていた。こうしなくてはいけない、という理論が先立って、それが自分自身をとても不自由にしていたのだろうか。自分のなかで凝り固まっていた常識が崩壊し、封印していた記憶を蘇らせ、思いもよらなかった事実を見出す。硬い地面を掘り起こして現れた断面、新しいかたちを見つけたかのようだ。

 何を求めているのか、何を見たいのか?いや、うすうす見えているんだけど…。あり得ない体験のさなかでも、目の前の作業を実践していくことによって、なにか、探している何かが現れてくれるのだろうか。


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・教会員の証しですので、個人名はイニシャルに変えています。

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