風囁


7月8日&15日

信仰告白

I.H 兄

 

 僕はクリスチャンホームの3人兄弟の末っ子として生まれました。そのため、生まれる前から教会に通っていました。なので、「教会へ行く」ということは、僕にとって当たり前のことでしたし、「キリスト教」という宗教の存在や、「イエス・キリスト」の存在も、もはや、あって当たり前のものでした。ですから、逆にその本質的な部分を見出そうとすることもなく、聖書や信仰に対しても、何となく「そんなこともあったりするのかな」くらいの、表面上の理解だけで、それ以上求めようとする意思もありませんでした。

 僕がそんな風に過ごしている中、兄は福岡地方連合少年少女会へと導かれ、そこでたくさんの恵みを受け、そして、その少年少女会にて役員や会長として奉仕しておりました。そして、2013年の少年少女「春の修養会」で、兄が僕の存在を宇美教会の渡邊先生に紹介してくれました。その時僕はまだ小学4年生で、まだ信仰について考えることもありませんでした。

 それから2年後、僕が小学6年生になった頃、渡邊先生から突然電話があり、少年少女会の讃美集会が秋に大名クロスガーデンで行われるということを伝えられました。僕はこの時に初めて少年少女会の存在を知りましたし、大名クロスガーデンの存在を知ったのも、この時が初めてでした。聞いたときは、正直あまり何も考えずに、本当になんとなくの軽い気持ちで「行ってみようかな」と思って、讃美集会に参加しました。この讃美集会で、僕はそれまで知らなかった多くの恵みを受けました。

 まず、僕はそれまで、自分と同じくらいの年代で教会に通っている人と出会うということが、ほぼありませんでした。そ こにいた少年少女たちは皆、それぞれの口で聖書を語り、讃美をしていました。また、僕はそれまで、讃美がこれほどまでに素晴らしいものであるということを知りませんでした。その時の集会で初めて、当時高校1年生で役員をしていた原田仰神学生と出会い、そして彼のギターを貸してもらって伴奏の奉仕をさせていただきました。全身を使って讃美をする少年少女たちの姿に僕は驚きましたし、讃美を「楽しい」と初めて思いました。そして、その年度の春の修養会も大名クロスガーデンで行われ、僕がこの大名クロスガーデンに通い始めたのもそれ以来でした。

 そうして次の年度の集会にも参加していったわけですが、そんな集会に参加していく中で、僕の中で「神さまと出会いたい」という思いが出てきました。その思いから僕は、新中学2年生として参加した春の修養会(春修)で、役員として少年少女会に奉仕していくことを決めま した。役員として少年少女会に関わることで、 何か神様と出会うヒントや手がかりのようなものが見つかるのではないか、と思ったからです。そこから1年間、「導かれ、出会い…」というテ ーマのもとに、役員の一人として、他の役員たちとも一緒に集会をつくる働きをしました。 

 

(次週に続きます。)


7月1日

無題

I.M 姉

 

 終戦の年、私は丁度中学入学の時期でした。父は戦死、母は私達2人の子どもを残し、里に帰ったとの事でした、祖父母と、叔父夫婦、従兄弟、私達兄弟。生活はとても厳しく、大変だったにも関わらず、私を大阪女学院に入学させてくれました。

 祖父母を始め、家は仏教徒です。何故わざわざ私だけを、クリスチャンの学校に入れたのかは未だに謎ですが、私はとても豊かな学生生活を送ることが出来ました。外国人宣教師の先生は英語の授業!朝一番には講堂で礼拝、そのような学生時代を過ごしました。年に一度のクラス会は賛美歌で始まり、祈りで終わる生活をしていたにもかかわらず、次女の病をキッカケに、宗教を渡り歩いた時が有りました。

 80才になり、神様は、もう一度私を側に招き寄せて下さった事は、奇跡に近い喜びです。神様の愛を信じて、後残り少ない時間を喜び!生きて行きたいと思います。


・過去の風囁はブログとしてアップしています。

・教会員の証しですので、個人名はイニシャルに変えています。

・個人の希望の場合、週報のみの掲載で、HPにもBlogにもアップしません。